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   ワン・エリア各局!、お待たせしました


 夕方も午後4時を回っていた。少しばかりCQ を出して様子をみようとマイクをにぎった。
「そんなことしていないで早く食べたら」 XYLから催促の声。
「まぁ、やっててね」 

 空きっ腹が気になりながら、リグの前に座り込む。

 あの福江島以来の久し振りのCQだった。

「CQ,CQ,CQ こちらは JH1HUK ポータブ・ルシックス,長崎県諫早市移動、どちらかお聞きの局いらっしゃいませんか、応答ください、受信いたします、どうぞ!」
 16時44分、JA6ITH局園畠さんが、飯塚市移動から声をかけてくれた。五家原岳からの1st QSO。

雲や切りが押し寄せる山頂付近。右手方向が
東日本方面。運用期間中は殆どブラインド状態だった。

福江島でのトラブルを気にかけていて呼んでもらった。
 「各局のおかげで、なんとか運用にこぎつけました。ご心配おかけしました」.
 「よく来ていますよ。頑張ってくださいね」
 コンディションはどうなのかな。はたして、どこまで届くのだろうか。機器類はトランシーバはじめ遅延回路も
正常に作動している。傍で石橋さん、松本さんが成り行きを見守ってくれていた。
 
 とうとう折角のバーベキューには手をだせないまま運用することになって
しまった。
 16時57分、JK4DOS局・伊藤さんが岩国市移動から呼んできた。この交信を皮切に深夜の23時過ぎまで、
良好な伝搬現象に助けられて、信じられないような夢のオープンを味わうことになった。まさかの、まさか、だった。
 やきもきしていただろうJA4MVG局嘉沢さんが出張先の2エリアから呼んできてくれた。
 「どうなるかわかりませんが、やるっきゃない」
 「頑張って飛ばしてきてくださいね」
 温かい励ましだった。

 今回の旅に出てる前にJR1MAU 局、荒さんと約束した。 DXシーズンになるときまって神奈川県足柄下郡箱根町
にいるからだ。その彼に云った。
 「ポータブル足柄下郡で聴いていてくださいね」
 こんなことを約束しておきながら、福江島での運用を中止せざるを得なかったことが悔やまれる。
きっと他にも多くの各局をがっかりさせたにちがいなかった。
この五家原岳からの信号が、はたして足柄下郡まで届くのだろうか。
 おそるおそる呼んでみた。
 「足柄下郡移動各局入感ありますか。JR1MAUポータブル・ワン、荒さん、聞こえますか? 
こちらはJH1HUKポータブル・シックス、長崎県諫早市です。
入感ありましたら応答ください」
 
 17時11分、一発のコールで、応答があった。
 「JH1HUKポータブル・シックス、諌早、51できてますよ。聞こえましたね。
JR1MAU ポータブル・ワンからリポート51を送ります」
 「こちらから59 です。良く来ています」
 「もう一局おりますのでいきます。よろしく」
 JO1MATポータブル・ワン足柄下郡から古山さんが呼んでくれた。RSリポートは55,こちらからは59 だった。
やぱり聴いていてくれたのだ。とうとう1エリアへの道筋がつきかけていた。
 
 さあ、こうなると腰が落ち着かなくなる。五家原岳からのCQに、各エリアで待機の各局から応答が続いた。
19時半近くまで3エリア、4エリア、5エリア各局が呼んでくれた。jj3TXX局、桑田さん、芦屋からありがとう。
JR4MDA局、大村さん、米子市からありがとう。四国・徳島からJA5DZI 局・市原さん、ありがとう。
岡山市の JK4SIY局・武田さん、59でした。JG4BUO/4局、倉敷市から大森さん、ありがとう。
 大阪府大東市から、JF3CTP局、岡井さん、ありがとう。静岡県磐田市から、いつも呼んでくれるJN2JNU局、
小林さん、今回も交信ありがとう。2エリア、3エリア方面から59での入感状態がつづく。

 はたして、このコンディションで1エリアへはどうなのか。
電波が箱根を越えて関東平野方面へ飛んで行ってくれるのだろうか。
 そんな不安を吹き飛ばしてくれる信号が、横浜市・旭区から入感した。
19時33分、7K3MFL局、中村さんだった。互いに59フルスケールのRSリポートの交換だった。
 続いて武蔵野市からJA1BIL局・島崎OMが入感。
 いよいよこの伝搬が本物だと確信できた。、JI1NDP局、藤沢市・入内島さん。
山梨県・南都留郡から一戸さん、上段さん、富士山中腹へ上がってくれたのだろう。
ありがとう。いつもスケジュールQSOでお世話になっているJS1QWT局、四街道市・石井さんも入感。
 21時過ぎから、東京都下、そして都区内からも応答がつづいた。まさか都内各局から応答があるとは夢にも
おもっていなかった。驚異の伝搬だ。JM1WCH 局、小平市の久保田さん各局、ありがとう。
三鷹市、西東京市からもコールがつづく。
 さらに思いがけない都区内から7L3BSP 局、椎名さん、JH1AQG局、酒井さんの大田区各局、7M1CKL局、
目黒区・安藤さん、JH1CUW/1,局、豊島区・角田さんだった。

 ロケーションによって、入感状態がかなり変化しているなか、かなり多くの各局が,さらにコールしていたはずだ。
しかし、コンディションの浮き沈みを計算しながら巧みに断続的な応答がくりひろげられた。タイミング良く、ワン
コール・ワンターンがつづく。
 
 千葉県下では、ベテラン各局が呼んでくれた。 JJ1VMN局、富里市・上松さん、JP1VVM局、千葉市緑区・加藤さん、
JR1NCB局、印旛郡・風間さん、ありがとう。
いつもスケジュールQSOではすっかりお世話になっているJA1AYW局、三郷市・宮橋さん、交信できて良かった。
匝瑳市から呼んでくれた7M2DUC局・林さんもありがとう。
 私の常置場所である鎌ヶ谷市からコールバックのあったJA1FRT局・松下さん。
もし、あの時、私がホームで長崎からの信号を聞いていたら、きっと私も「長崎」をゲットできたかも知れない、
うらやましい交信だった。
 茂原市から、大ベテランのJ1KTY局・渡辺さんが果敢に呼んでいただいた。
さらに私のホームに近い習志野市からJM1AEM 局、高橋さんの信号も強く入感していた。
 
 好コンディションはまだ持続していた。茨城県では、JS1EVP局、潮来市・篠塚さん、JQ1QNU局、牛久市・嵯峨さん、
7M1OOO局、かすみがうら市・小松崎さん、見事な入感だった。
 北関東方面への伝搬が確認できた。19時52分、JP1EGK局、栃木県足利市・川島さん。
そして、21時54分、JI1THG局、小山市・日向野さん、ありがとう。
 埼玉県では、2時12分、JK1JZT/1局、さいたま市北区・石塚さん、同じ北区から7K3SJH局・堀江さんも入感、
JH1FHA局、神野さん、久しぶりの交信。
JH1EYY局、狭山市の並木さん、いつスケジュールQSOではお世話になっている。
7K1XEM局、草加市の三浦さん、ハムフェア打ち合わせ会で会いました。
 群馬県では、太田市各局が呼んでくれた。22時41分、7L4LCV局、JK1RAK局だった。

 意外な伝搬は、秋田県との県境にあろ山形県飽海郡遊佐町(JCG・05001)のJH7LLT局、渋谷さんだった。
20時45分、RSリポート/59/59の交換だった。
近隣の7エリア各局にも連絡を入れてくれたようだが、交信は叶わなかった。
 ゼロ・エリアでは、新潟方面からの入感はなかったが、長野県下伊那郡まで移動運用に出向いてくれた
J10DEV/0局、前川さんが、平谷村からコールしてくれた。また伊那谷のJA0LDY局、秦さんがポータブル飯田市
から59でコールバック。 伝搬ルートとは云え、9エリアからも応答があった。JR9HCV/9局、石川県鳳珠郡、
JH9YKV/9局、小矢部市だった。

 各エリアから応答で、私にとっては特筆すべきカップル局が二組あった。
ご夫婦で長年お相手をいただいている各局だ。20時00分、兵庫県朝来市移動で運用のJH300J/3、JH300I/3局、
小田さんご夫妻、もう一組は、22時55分、JH1VMN,JLIMTV局、横浜市金沢区、石原ご夫妻だった。
お二人での運用はいつまでも忘れられない。同じ趣味を共有できることの素晴らしさは云うまでもない。

 23時05分、吹田市のJA3TYB局、末広さんとの交信を最後に、8月2日は終わった。
 終始中継の労を買って出てくれた足柄下郡移動の JM1MAU /1局、荒さんには本当にお世話になった。
一応ファイナルの挨拶を送って、ようやく幕が下りた。
 五時間近いオープンだった。
 
 私が松本さんのアンテナを借りてしまったので、彼は、石橋さんの車上にあげたアンテナで50メガを運用していた。
飛んでもない好コンディションのようで、強力なYLステーションの声が入感していた。ここで運用した経験の
多い二人にとって、ワン・エリアとのこんなにも凄い交信は、かってなかったようだ。
 こんな素晴らしい体験ができたのも、温かい友情に満ちた各局の応援があってのことだった。この場所を見る
だけでも良いとおもっていたただけに、ましてや、コンディションが開けた、そんなチャンスに遭遇できたことは
幸運としか、云いようがなかった。

 食べ損なったバーベキューの夕食が恨めしかったっが、なによりも空腹を忘れて頑張ってしまった五時間だった。
 家内は疲れて、先に車の中のベッドで眠っていた。松本さん、石橋さんにお礼を云って、私も車に入り込んだ。
チョコレートのきれっぱなしを噛り、ペットボトルの緑茶を口に含みながらベッドに横になった。
 疲れで直ちに眠りに落ち込んだようだったが、深夜を二時間ほどまわった頃だろうか、何やら外で人の話し込む
気配が伝わってきた。
 しかし、再び、そのまま眠り込んでしまった。
 翌朝、深夜の話し声のことを聞いてみた。深夜の訪問客は、佐賀県から車で駆けつけてくれたJN6GPM局・
成富さんだった。今回の当局のトラブルを聞いて、機材をわざわざ送ってくれた局だ。
家族の皆さんも一緒にこられたとか。会えなかったことが申し訳なかった。運用の疲れで寝てしまった私たち
を気遣って起こさなかったという。
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