桑田さんが翔く
JJ3TXX、桑田さんを偲んで  
瀬川 俊宏
 JJ3TXX 桑田さんと知りあったのは、いつ頃だろうか?
 私が、430MHzSSBを始めたのは、もう20年以上も前になる。
 私は、他のアマチュアバンドをあまり知らずに430MhzSSBを始めたので、とにかく山へ移動して、ひたすらCQを出し移動運用を楽しんでいた。

 私は、広島市内に住んでいたので、広島県西部を中心に移動運用する事となるが、幸いにも福山市のJH4HSN 中西さんと知り合う事となり、中西さんが広島県の東部地区を私が西部地区を中心に移動するスタイルができあがった。
 当時は私の仕事が、第1.第3土日が休みだったので毎月2回の移動を行っていた。
 土曜日の夕方には、移動運用を開始して夜の21時頃に中西さんが開局し、日曜日のお昼まで交代で声を出して遊んでいた。(1回の移動運用で、150枚ぐらいのQSLカードを発行していたと思う。)
 二、三年後、お互いがある程度の運用をしているとJCC.JCGの増を目的にするようになった。
 当時は、現在と違ってメール(M/L).携帯電話もなく移動情報を入手するのにかなりの苦労をしたことを覚えている。
 そこで、皆さんもご存じの170NETからの情報収集である。
 今で考えると、1ヶ月一度の発行なので当てにならないところもあったが、当時としては、ありがたい情報源であった。特に、7.8エリアの移動情報は貴重であった。
 
 さて、JJ3TXX 桑田さんとの出会いですが、愛知県伊良湖で行われた430MhzSSB全国大会だったと思う。
 JH4HSN 中西さんと、一度は各エリアの各局と会ってみたいとの気持ちが強くなり、大会への参加を決めた。
 この大会にて、1.2.3.6.9.0エリアの各局との初アイボールとなったわけである。
 中でもJJ3TXX 桑田さんとの出会いは、『俺がJJ3TXXだ』とロゴの入ったシャツが印象に残っている。
 その後、富山.京都・・・もちろん、170新年会への参加である。
 ※京都のホテルの廊下で、焼き物(乾き物)されたのには驚かされた。

 JJ3TXX 桑田さんと、我々広島各局を結び付けてくれたのは何といっても『430MhzSSB 宮浜大会』ではないかと思います。日頃、430MhzSSBでお世話になっている各局に広島でアイボールをしていただきたいとの思いで開催したのですが、何しろ初めての事なので桑田さんには色々なアドバイスをいただきました。
 また、呉市での広島各局の集まりには、3エリアからアナゴのお土産付きで駆け付けていただきました。JA5PXR、新居浜市の柿本さんの集まりにも来ていただきましたね〜。
 桑田さんとの思い出には、6エリアとのつながりもある。JG6BQH、熊本の本田さんが亡くなられた時に、6エリア有志による追悼移動に誘われて、ご一緒したことである。芦屋を出発されて、広島で合流、一路熊本へ直行し、本田さんの位牌に手を合わせて、さらに阿蘇郡の移動地で各局とのアイボール。

 広島各局には、さらに強烈な思い出がある。
 それは、2回にもおよぶ新南陽市(現在の周南市)千石岳(630m)の担ぎ上げ移動だった。
 駐車場から山頂までは、約30分の道程ではあるが、桑田さん達の協力のもと、広島各局含めて7.8名での器材の担ぎ上げはさすがにきつかった。その中で桑田さんは何と3往復されたと記憶している。さすが、元ラガーマンである。
 さらに、1回目の移動(5月末頃だったかな?)のコンディションが悪く、2回目(8月末だったと思う)も同じ山に担ぎ上げをしたのだ。もちろん、桑田さんも一緒だった。

 今から思うと、桑田さんの行動力は『すごかった』と思う。車で、7エリア(秋田)には行くし、6エリアには行くしで、きっと全国どこへでも行ったのでしょうね。
 また、430MHzSSBいや430MHzSSBの仲間が本当に好きだったに違いないと思う。
 好きだからこそ、仲間の所へ遊びに行かれたのではないだろうか。
 他、思い出すことは沢山あるが、阪神.淡路大震災では、大変なご苦労をされたと思います。
 
 今でも、桑田さんと云えば『ジャパーン.ジャパーン.スリー.タンゴ.エックスレイ.エックスレイ』が耳に残っている。

 桑田さんの思いとして、現役の各局と桑田さんにお世話になった各局(閉局中)とが、何とか力を合わせて430MHzSSBを続けていってくれることを、桑田さんは、切に願っていたと思う。

 私は、もう少し時間をいただいたら430MHzSSBに復帰したいと考えております。

 桑田さん、もう少し時間をください。
 そして桑田さん、430MHzSSBの仲間を見守ってやってください。

 桑田さん、お世話になりました。そして、ありがとうございました。

メニューへ 前へ 後へ