桑田さんが翔く
幻の「NET NEWS」 261 号  
JH1HUK  大島 讓
 桑田さんが、自身の体調に異変を感じ、検査を受けてから、約一年と数ヶ月の闘病生活。
 本格的な手術で大腸ガンが摘出され、他の臓器への転移も報告され、本人は、いよいよ対決し病状を凝視しながら、抗がん剤治療と向かい合うことになった。激しい副作用に耐えながら、実体験の病状を自ら赤裸々に告げる告白のキャンペーンを張った。それは、誰にでも、なかなかできないことだった。

 余命の時間を宣告された人間が、病魔と立ち向かう姿は千差万別。他人のことが、自分であったら、どうするだろうか。彼の人並みでない気力と体力が、そうさせたのだろうか。決して虚勢ではなかった。聴くだけでも恐ろしい、残酷な事実を、淡々と語り続けた桑田誠司さんだった。
 
170NET NEWSの毎号には、自ら、病状の現状や変化に伴う率直な感想を書き続けられた。
 また、本業であるハナヤ勘兵衛の社長として、ブログにもコメントをアップし続けた。彼の人生観がどうであれ、その死生観がもたらすこだわりが何であろうと、そして、「生きる」ことの価値観をどう決めつけようが、決して人に明かすことのない、或る「決断」が最後のステージまで、彼を支え、「俺は此れで行く」 を、静々と通したのだった。
 
 計り知れない、肉親や家族の慟哭にも、耳を傾けないような振りをしながら、学友、同窓会の面々とは、起きるかも知れない現実を目の前に、別れの宴を催した。 最後に、ご夫人と共に旅立った、7エリア、8エリアでの邂逅の日々は、さぞ重かったことだろう。一緒に出かけることの少なかった夫人からのリクエストで、北海道行きを決めたと聞いた。
 
そして、彼の脳裏の根底に息づく、期待と希望の終章は、自ら立ち上げ育んできた170NET の行方だった。彼がマークしている提言者に、「今後の170NETをどうするか」を問いかけた。(170NET NEWS 259号 参照)
 いみじくも各氏の提言は共通していた。桑田さんが自ら幕を引き、一世一代の170NET を彼の意志で終焉に導くことだった。桑田誠司無くして、170NET は無い。収束への提言は明解だった。
 提言を受けた彼は、2011年1月の、恒例の新年会でピリオドを打つことを決心した。そして、もし許されるなら、残された時間は、仲間と無線談義に華を咲かせながら、のんびりしたいとコメントした。

 運命の鐘は、2010年、大晦日の深夜、0時02分、天国に召された桑田さんの告知だった。
 ついに、類い稀な人情の持ち主は、惜しまれながら、人間を見事に卒業していった。
 年始ではあったが多くの会葬者とともに出棺を見送りながら、おもわず叫んでしまった。
 「桑田さん、本当にお疲れさまでした。ゆっくり休んでぇ!」

 桑田さんが亡くなる12月上旬に、治療のために2回ほど上京されたが、歩行はなんとかできていた。
 会って話がしたいといわれ、出かけて行く。
 2011年1月9日予定の新年会のことと、170NET の記念誌の発行のことだった。
 「俺に何かのことがあったら、170NET NEWSの、タイトルは 哀悼号でもなんでもいいから、まとめてほしい。皆のスピーチも載せてもらっていいよ」
「新年会はなんとかやりたい。」「170NET 10年史(後編)の記念誌を発行して欲しい」とも。
 
 こんな経緯があり、まずは、文集の制作を始めることにした。
 この「桑田さんが翔く」の文集は、当初、独立したA-5版の小冊子の予定だったが、制作費などが、かかり過ぎるので中止にした。430SSB MLの榎戸さんに相談し、ご好意でHPを、立ち上げて利用させていただくことになった。その代わりとして、今回、投稿頂いた「想い出の文集」は、記念誌(10年史後編)に、全文を収録することになった。
 
 この記念誌は、来年の桑田さん一周忌の席上で、希望者に頒布する予定で、制作にかかることにした。記念誌の入手希望者は、後日、430SSB MLのNET上でお知らせします「ご案内」をご覧ください。
 このような形で、桑田さんから、遺言として託された宿題を、有志各局とともに、とりかかることになった。是非、皆様方のご協力をお願いいたします。
 
 桑田さんは、自らの手で、170NET の 終幕を引くにあたり、培われた絆を、しっかり後世に遺しておきたかったのだった。その強い意思は、病床にあった最後までも語り続けられていた。
 2011年1月9日の「桑田さんを偲ぶ会」では、多くの各局が、故人の意思を、間違いなく受けとめていただけたはずだ。

 170NET NEWSは、創刊以来、260号まで発行され、A-4の分厚いバインダーに収納されて私の本棚にある。今、手元に、その次号になる261号向けの投稿原稿と、昨年12月17日と24日に桑田さんへ宛書いた、最後のメールのコピーが残っていた。まさしく終幕を飾るNET NEWSの最終号に掲載する、今となっては、「幻の原稿」になってしまった。
 各局が、愛してやまなかった「桑田節」への、最後の礼賛として、ここに、披露させていただき
故人への深い哀悼を捧げたい。

 12月17日、送信文。(原文)
 桑田さん、170NET NEWS 261号の投稿記事を書いています。来週は送れるでしょう。
 拙文を、いつも取り上げていただき、感謝しております。
この170NET NEWS 毎号に込められたJJ3TXXの想いと、地道な主宰者の心意気を、忘れることができません。こんなに個性的で、人間性がキャラクターにまで昇華された機関紙は唯一無二です。
 二十数年ワクワクしながら、お付き合いさせていただきました。
 天命を祈りながら、170NET NEWSのエピローグ版が発行され、さらにJJ3TXXの記念誌が完結、発行される日を心待ちにしたいです。
 提案。記念誌のタイトルは、「クワッサンが行く!!」、英文字では「Go Ahead Boss! Kuwassan!!」 では、どうかな。 「桑田さん」 と呼ぶより 「クワッサン」の方が、ぴったりのようにおもいます。よろしく。

12月28日、見舞いに行ったときに聞いてみたら、やっぱり「桑田さん」の方がええなぁ、とのことでした。そして「桑田さんが翔く」というタイトルが誕生しました。
 因に、タイトルに使いました「翔く」は、生前、彼が好んで聴いていた、南米のパンフルート曲のタイトルからヒントを頂きました。大空を舞う王者、コンドルの姿のイメージです。

 12月24日、送信文(原文)
 桑田さん、本当に長い間、ひたすら170NET NEWS を書き続けてくれて、ありがとうございます。公式には、この261号が、幕引きの最終号になるわけわけですが、心からお礼を申しあげたい。文字通り身体と情熱を張って、桑田節が語り続けられた、このドキュメントは、これからも語り継がれていくことでしょう。
卒業記念の席上で、元気な姿と桑田節にお目にかかれることを期待しています。
 その後は、以前と変わらず、ご自身が好きなように時間をお過しください。

 では、以下に、投稿予定だった原稿「TXXトークショー・桑田節」 を紹介せていただきます。

☆ 昭和から平成を駆け抜けた多くの430ssbersにとって、忘れることができない存在感、TXX・タンゴペケペケ。偶然だったが、私も芦屋市内に住んでいたことがあり、その当時からカメラと写真好きだったことで、カメラ店「ハナヤ勘兵衛」のことは知っていた。その三代目の社長である桑田さんに、後年、アマチュア無線の世界でお会いすることになったのは、ご縁でしょうか。
 私はHFの世界から、1987年、UHF・430メガの門をたたいて、それも移動運用の世界に入り没頭し始めました。特に、電波の飛びの、際立った面白さに、すっかり魅了されていきました。
 電波伝搬の不思議な事実を、極限まで可能性を探りたかったです。非力な運用のなか、多くの先輩局に助けられ、ほぼ20年ちかく遊ばせてもらいました。
 その当時の先輩各局の声もコールサインも聴けなくなり、今は寂しい反面、多くの後継者であるビギナー各局の台頭も楽しみです。これらのドキュメントを克明に報じられた 170NET NEWS の存在は大きかったです。
 無線歴は云うまでもないですが、TXXのキャラクターのなせる業でしょうか。素敵な人間関係づくりはユニークでした。問題があれば、どこへでも飛んで行って解決に尽力された姿は、鮮烈な記憶として残っています。
 人が喜んでくれることが一番、俺はこれが好きでやってんねん、と断言される。今回、170NETの幕引きを、俺なりにやりたい、こんな強い思い入れを、最後まで全うさせてあげたい、そんな気持ちです。解放された余生は、どうか心ゆくまでのんびり過してほしい、そんな心境です。
 人間、一生かかって、何人の好人物に会えるだろうか。普段の何気ない付き合いの友人や知人がいても、無線交信のような、たった一回のチャンスから一期一会の世界が生まれた、桑田さんとの出会いを、いつまでも誇りにおもいます。
 電話のチャットも楽しい。しかし、無線交信の世界は、読み上げれば僅かなフレーズのやりとりです。相手の話を聴きながら、返す言葉をまとめ応答する作業です。話の内容も、そのボキャブラリーも肝心です。話の馬が合えば、、こんなに素晴しい対面はありません。
 各局とのグランドアイボールは究極の楽しみです。桑田さんに、遊ばせてもらっている新年会、しかも、主宰者最後のパーティーで、お会いしましょう。桑田節の締めをゲットしたいです。
ありがとうございました。  JH1HUK

  (後記)
 あの病床で、最後まで、新年会開催のことを案じていた桑田さんでしたが、貴男を偲ぶ
素晴しい会が各局の努力でできましたことを、ここに改めて報告させていただきます。
 ありがとうございました。


芦屋自宅にて 移動運用の帰路、桑田宅に立ち寄ったJO1UAH

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