対馬へ渡る
2006年7月22日
 明らかに天候は回復に向かっている。久しぶりの陽射しに心が浮 き立っていた。週末の対馬海峡方面も良さそうだ。
 太宰府への道は山越えで、デリカの園畠さんを追いかけた。何回 か北九州を訪ねているが、太宰府天満宮へは見学の機会がなかった。 行楽のシーズンには、大渋滞になるといわれているが、今日はそれ もなく、商店街の裏の駐車場に滑り込んだ。

 門前も境内も参拝者は思ったよりは少なく、散策しながら案内して いただく。お気に入りの茶屋が境内の奥にあり、ゆっくりとのぼり つめる。茶屋ごとにお好みがあるようで、辿り着いた茶屋にも、通 い慣れた客の談笑があった。
 あたりの景色から秋の紅葉シーズンの素晴らしさがうかがえる。 美味しいうどんをいただく。本殿をみてから門前の商店街を歩き、 西鉄の太宰府駅前まで行く。
 参拝者や観光客が歩く道は幅が広く、磨き上げられた石板が敷き詰 められていて美しい参道だ。駅に近い参道の一角に、園畠さんご贔屓 の和風喫茶があり、しばし休憩。お抹茶に餅菓子がついた洒落たメ ニューが気に入った。店の奥には、ガラス越しに手入れの行き届い た庭園が見えていて、園内の散歩もできる。

 ここでもう1ヶ所、それは昨年完成したばかりの「九州国立博物館」 を訪ねてみた。はたして、どんな博物館かと思っていたが、仮にも 「国立」と謳っている以上は、変なものではないだろう。天満宮の脇 を通り抜け歩いていくと、傾斜地に沿った長いエスカレータの屋根が見 えるゲート前に出る。
 上り下りの数本の長いエスカレータに乗り、一段上の高台に出ると、 目の前に巨大な建造物が現われた。これが博物館の本体である。長方形 の蒲鉾型で、160m×80m,高さが36m.地下2階、地上5階建ての超近代的な 建物だ。圧倒される量感と現代建築の感覚に、おもわず驚きの声を出し てしまった。
 催し物は特別展が終わったばかりなので、見る気がしなかったが、 秀逸な構造デザインに見とれるばかりだった。今度は催し物をみて、是 非再び訪れてみたい。東京、京都、奈良についで我が国で4番目の国立 博物館だ。明治32年に岡倉天心が初めて提唱して以来、108年目の悲願 の博物館が九州の地に誕生したことになる。コンセプトに「古来より交 流の窓口であった九州の地に、日本文化形成をアジア史的な観点でとら える」とある。実に今後も楽しみな博物館だった。

 太宰府を出て展望のきくポイントを紹介してくださるというのでつい て行く。糟屋郡篠栗町の「米の山展望台」だった。福岡市内から博多湾 方向が全部見渡せる素晴らしいポイントだった。
 若杉山登山口という看板を横目に林道を上って行く。幅が狭く急な勾 配だが、展望台は広々とした広場で眺望はみごとだった。夜はカップル の溜まり場だとか。納得である。
 車を降りてしばらくおしゃべりが続く。園畠さんのビジネスタイムを 割いてくださったこともあり、この辺で事務所へ戻って頂かなければ申 し訳ない。


JA6ITH局、園畠さん
 あまりにもお世話になりっ放しで感謝の言葉も尽きて しまった。心からお礼を申し上げて、ここでお別れをすることになった。 本当にありがとうございました。
 山を下りていったデリカを追っかけるように、21メガの波がJA6ITH/ モービル6をしっかりキャッチした。「良くきていますよ。気をつけて いっていらっしゃい」「対馬からもよろしく」 本当に福岡での素晴ら しい憩いの二日間だった。

 HFでの運用も楽しんだ後、私たちも山を下りた。 家内がどこか温泉 に入りたいと云い出した。この林道の入り口近くに温泉の標識があった ので行って見る。良さそうな温泉らしかったが、入浴料を聞いてやめた。 図々しくも、この辺で風呂へ入れてくれるような施設がありませんかと 訊く。嫌な顔をすることなく、笑いながら、町営のお湯センターを教え てくれた。
 JR篠栗線の「篠栗駅」に近い福祉センターの中にある、町営のお湯 センター「オアシス」のことだった。なんと入浴料が200円。感動だった。 勿論、彼女も大満足だった。
 風呂上がりで、近くのBamiyan で夕食を摂る。全国展開の中華レス トランのおかげで、久しぶりにギョウザとチャーハンにありつけた。

 乗船時間を見ながら、福岡都市高速で「築港インター」に向かう。 インターを下りて、すぐ傍が九州商船のフェリー乗り場だ。臨時便、 22時40分発、フェリー「あがた」がガラ空きだった。大型のトラック に挟まれながら乗船を待つ。
 なんと乗用車は数台だけだった。
 定刻、船は博多湾を静かに航行し始めた。お世話になった園畠さん にも携帯でお礼の挨拶を送る。「気をつけね」「ありがとうございま した」
 早速、船内で借りた貸し毛布にくるまりながら、いつの間にか眠り 込んでしまった。

 船内のアナウンスで比田勝港入港が告げられた。眠気眼をこすりな がら、車両甲板へ降りる。定刻、午前4時だった。船から吐き出される ように車が上陸を始める。

 やっと対馬に来れたのだ。何年ぶりかな。1996年夏の伝搬実験以来 かな。そうではない。2000年9月にも移動運用で来ていた。港も周辺 も整備され綺麗になっていた。
 まだ暗闇の中だが、東の空が紅に染まりだしている。何かとお世話 になる江藤さんの実家の皆さんはまだ眠っておられるはず。前々回の 宿泊と運用場所のことでお世話になった国民宿舎「上対馬荘」へ行っ てみた。
 静まりかえっている玄関先を通り過ぎて、アンテナを設営した裏の コートに車を乗り入れた。今は草木が生い茂っていて当時のような見 通しの利くような条件ではなかったが、懐かしい場所だ。当時は、こ の炎天下のコートで28エレ×2列×2段を必死に組み立てていた自分 を思い出していた。

 だいぶ明るくなったので、朝食の支度をするために、さっきの港の 駐車場に戻った。食後、少し早かったが港に近い材木商の江藤さん宅 をお訪ねした。皆さん、すでに起きておられ、さっそく江藤さんのお 父さんにご挨拶。お話の中で、すでに手配をしていただいている軽 トラックと展望台へ上がる脇道の入口の鍵のことも確認できた。 鍵を保管している対馬市の上対馬支所は、休日のため、鍵は明日入 手することになった。
 実際に現場を見に行ってみた。権現山森林公園の展望台で直下に 駐車場も整備され、トイレも水場もあることから申し分なかった。 脇道の入り口にU字型のポールが差し込んであり、この根元に鍵が かかっていた。脇道とは別に、103段の登りやすい階段があり、普 段の展望台への出入りはこれを利用することになる。歩いて上がっ て見たが割合に歩きやすかった。明日に荷物を軽トラで揚げてし まえば、後は天候をみながら、なんとか設営にこぎつけそうだった。

 一安心したところで、今日は、対馬北部のいろいろな場所を観光 してみることにした。一番目についたのは、至るところ標識や看板 にまでハングルが併記されていることだった。
 話には聞いていたが、韓国からの大変な数の観光客の訪問で、島 内の様子が変わってしまった。店内のメニューや正札にいたるまで、 びっしり併記されている。それだけ利用する韓国人が来島している ということだ。観光ポイントも標識もトイレも見事に整備され、 出入りする観光バス、ガイド、民宿のバスなど、一手にウエルカム 韓国だ。
 一つには、釜山から、対馬経由で博多まで航行する高速船が定期 就航するようになってから、観光客がめ目立つようになったようだ。 比田勝港にも税関や入管事務所が設置され、入国者をさばいている。 ひところは、対馬で海釣りを楽しむ韓国人が多かったのが、日増し に本格的な観光のための団体客や修学旅行などが多くなり、受け入 れ側も大繁盛のようだ。
 目先の利く韓国人などは地元の事業として現地の日本人と組んで 観光業に手を出しているとか。大変な熱のいれようだ。当然、この ルートで韓国の釜山へ出入りする邦人もかなりいるようで、江藤さ んたちも無線を通じて、或いは写真を通じて愛好家達とのアイボー ル会もあると云うから興味深いことだ。

 そんなわけで、行くところ至る所で、韓国人の観光グループと顔 を合わせることになる。彼らが、対馬の何に興味を持つのだろうか。 神社やお寺をまわりながら、何を思うのだろうか。中でも彼らの注 目ポイントは、韓国の釜山が対岸に見えるという観光ポイントらしい。 50kmにも満たない指呼の間に、朝鮮半島の山や街の姿が遠望できる のだから、当然なのかも知れない。
 小型のテレビでもチャンネルは韓国各社の番組でうずまっている。 聞こえるラジオ放送は韓国語ばかり。下手するとNHKですら入感状 態が悪くて聞きにくいこともある。
 そして,その逆の日本のテレビやラジオ番組も彼らにしてみれば、 なんとか聴いてみたいし、事実、視聴できているはずだ。

 半日の島内の観光を終えて、ひっそりと誰も訪ねる人のいない 茂木浜海水浴場にやってきた。ここで今晩は野営することになった。 明朝は比田勝へ戻ることになる。